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オタビジブログ

とあるメディア企業で働くオタクビジネスプロデューサーによるブログ。 アニメやゲームなどいわゆる「オタク向けビジネス」の紹介・分析を中心としながら、イロイロ書いていきます。言っちゃだめなことは言いません(=゚ω゚)ノ

「オタク」という存在はそのうち無くなるんだろうな

ご無沙汰しておりました(=゚ω゚)ノ

タイトルは最近日々思っていることでして、ちょっと思考整理がてらブログに書いてみました。

 まず「そもそもオタクとは何か」というところですが、安直にWikiから引っ張ってみましょう。

おたく(オタク、ヲタク)とは、1970年代に日本で誕生したサブカルチャーのファンの総称。独特の行動様式、文化を持つとされる。元来はアニメ・SFのファンに限定した呼称であり[要出典]、一部で使われていただけだったが、バブル景気期に一般的に知られはじめた。その頃は「お宅族」、「オタッキー」、「オタッカー」と呼ばれた。明確な定義があるわけではなく、現在はより広い領域のファンを包括しており、その実態は一様ではない。  

冒頭にはこんなふうに書かれていました。ものすごい曖昧です。

その下には、さらに詳しく定義が書かれています。(書くことに挑戦しています。)

おたくとは何かという定義は確立していない。その時々により、また論者によりその言葉が意味するものが一定ではない。俗には、萌えや秋葉系といったキーワードと強く結び付けられることがある。 辞書的には、ある趣味・事物には深い関心を持つ(拘る)が、それ以外の広汎な知識、また社会性・社交性は欠けている人物として説明される。おたくという言葉はもともと二人称を意味する言葉であり、1980年代のアニメ・SFファンの一部の間でも使われていた。1983年に中森明夫が『漫画ブリッコ』のコラムでコミケに集まる集団を「彼らをおたくと命名する」とおたくを蔑称・名詞として呼ぶと、アニメ・SFファンはおたくを自認するようになった。辞書の定義にあるような否定的な人物像は、アニメ・SFファンによって自嘲的な自己像として語られていたものである。この言葉はアニメ・SFファンだけに限らず、普通とは見なされない趣味を持つ人、社交性に欠ける人に対しても使われるようになった。 おたくは広い意味をもつ言葉となったため、おたくとその文化を再定義する試みはたびたび行われてきた。評論家の岡田斗司夫はおたく文化を創作作品の職人芸を楽しむ文化としてとらえていた。精神科医の斎藤環はセクシュアリティがおたくの本質であり、二次元コンプレックスを持つのがおたくだとした。哲学者の東浩紀はサブカルチャーとの結び付きを重視した。 岡田によれば、1990年代頃からは否定的な意味は薄れ、肯定的に用いられるようにもなったという。なにかの趣味に強いこだわりをもつ人物という意味でも使われる。この意味では、こだわりの対象に対して、所得や余暇時間のほとんどを費やす「消費性オタク」と、「自分の趣味を周りに広めたい」「創造活動をしたい」と考える「心理性オタク」とに分類される。 

冒頭に「定義は確立していない」と書かれていながら長々と書かれておりますが、上記引用文中の「普通とは見なされない趣味を持つ人」という認識が世間一般かなと思います。

 

「普通とは見なされない」の反対は「普通と見なされる」です。この言葉が生まれたとされる1980年代当時、「普通」は存在していました。その「普通」とは「マス」です。「マスメディア」から発せられるコンテンツが「普通」でした。全員が同じコンテンツを共有していた時代。そんな時代に、別のもの(普通とは見なされないもの)を好きな人というのがオタクだったわけです。

 

しかし、ここ最近、マスが崩壊しています。言わずもがなですが、インターネットの登場により、メディアが乱立し、個々人すらメディアと成りつつあるわけです。そうなってしまうと、「普通」が存在しえなくなります。存在したとしてもごく一部に限られます。いまで言うと「半沢直樹」くらいです。

 

インターネットによって各個々人が“つながり”を持てるようになると、個々人の趣味嗜好が少数派だったとしても、簡単に仲間が得られます。昔は35人のクラスの中で作らなきゃいけなくなった仲間が、インターネット上だと対象が何十万人、何百万人という規模にまで広がります。無理に「普通」というマスのコンテンツに合わせて仲間作りをする必要なんてなくなるわけですね。そんな「普通が存在しない」若者世代がどんどん社会に出てきているわけです。

 

ここで問題なのは、この「普通が存在しない」という考え方が一般的なのは、いわゆるデジタルネイティブ世代(20代中盤くらい?)より下だということです。

 

オジサンやオバサンたちは未だにテレビが大好きで、「普通」を共有して、日々を送っています。そういうオジサンやオバサンから見ると、半沢直樹こそが普通で、アニメやゲームを好きな人は「普通とは違う人」=「オタク」です。

 

僕は「オタクビジネス」を仕掛けるビジネスプロデューサーとして、仕事をしていますが、これはオジサンオバサン世代に向かって説明するためで、実際にはIPビジネスプロデューサーだと思っています。IPの活用方法としてアツイ、かつ、個人的にも好きなのがアニメやゲームだということで、その分野をメインでしている次第です。

 

ただ、このアニメやゲーム業界でビジネスをしている人さえも、ビジネスのターゲットとしている人物を「オタク」=「普通とは違う人」と認識している人がかなり見かけられます。今ではこのようにターゲットを設定していると、見当違いのビジネスを仕掛けかねません。アニメやゲームにお金を落とす人は確実に変わっています。

 

この変化の流れに適応できない人たちがいる企業は、きっとこれから若者世代がメイン消費者となった時代に収益を上げていくことができません。「オタクという存在が無くなる」ということは、「全員が普通になる」ということではなく、「総オタク化」とニアリーイコールです。

 

ただ、ここで「総オタク化」ではなく「オタクという存在が無くなる」とタイトルで表現しているのは、過去にオタクと呼ばれていた存在とは変化しているからです。この変化を感じている人は、先ほどのWikiの定義に強い違和感を覚えるはずです。この変化を敏感に捉えて仕掛けられるよう精進したいと思います(=゚ω゚)ノ

 

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